大工はやめておけ!
工業高校なども見学にいきましたがなんとなくしっくりこない…。
そんな中自分にビビッときた学校が、飯田長姫高校。今の飯田OIDE長姫高校ですね。
とにかく長姫の建築科の製図が面白かったんです。
ドラフターと呼ばれる大きな製図版を使って線をひくのが。
その前に男ばっかだ!長姫なら女の子いる!長姫にしよう!(笑)
そんな邪念も混ざりつつ、家に帰って父に長姫の建築に行きたいと話すと
「何を考えとるのよ」でした。
「大工はもちろん、建築の理不尽な世界はやめておけ。」
今思うとそういう意味だった気がします。
幼心に対して、両親は大工の道を勧めたわけではなく、むしろ阻止していた気がします。
まかないも決して良いわけではなく、「うちは貧乏だから」が母の口癖でした。
口では反対はされつつも漠然と、後を継ぐことになるのかな?という
プレッシャーも感じつつ、小、中、高校生の間は大工になるという夢からは一旦離れ、
何になろうかな?物を作るのは好きなんだよな。くらいでした。
中学校3年生のとき、高校の体験入学にいきます。
正直なところ長姫に進学した際は、建築に興味津々!とまではいきませんでした。
そんな中、ひょんなとから空手部に入部。
極真のようにフルコンタクトで当てるわけではなく、寸止め。
今でいう伝統派空手です。
マイナー競技ながら部員も多い中、北信越大会に出られるくらいの成績ではありました。
ここで大工に必要な【 筋力 バランス感覚 精神力 】を養うことになります。
生まれつきの手のデカさを名門コーチが
「いい拳(こぶし)しているね!」と褒めてくださったこともありました。
進路を決める時期になり、周りの大半は専門校や四年制大学に進学するなか、
私は家庭の経済的事情もふまえ、就職を決意。
工業高校の体験入学で経験した、溶接をやってみようと思い、鉄工所へ就職。
鉄骨造を学ぶことになります。
建築関係、そしてものづくりには違いなかったのですが、
不景気のあおりをうけ、1年で倒産。
その後慌ててハローワークでみつけた水道設備屋さんに就くも、
どうもしっくり来ませんでした。
がしかし、幼少期以来久しぶりに、大工さんの仕事を目の当たりにしました。
家を造ってる。なんか面白そう。
まわりの人も頭が上がらないかんじ。偉そうなのも無理はない。
設備屋として、トイレの壁に、必要な紙巻器の木下地を釘で打ち込む。
面白い!
その日父に聞きました「大工の仕事はないの?」
やっぱり父は勧めません。
「夏は暑いし冬は寒い。刃物が切れんくなりゃー手入れをせんならん。
道具代だってバカにならん。普通のサラリーマンのほうがよっぽどいいぞ!」
予想どおりの答えにがっかり。
設備の仕事はどうしてもやりがいが沸かず、辞めてしまいます。
落ち込んでいる私を父が見かねたのか
「明日から一緒に現場に出るぞ!」
そう言ってくれたのは嬉しかったのですが、とりあえずといったところで、
ほんとに大工になることにはやっぱり賛成しません。
ですが、大工はやっぱり面白かった。
毎日のように父についていき、数か月過ぎた頃、父はほろ酔いでこう言います。
「職人の世界は厳しいんだ。嫌だったら辞めろ。
悔しかったら、できるようになれ」
究極の二択。
しかし辞めるという選択肢はありませんでした。
やってやろうじゃねえか!!
それからなんとなくもやもやしていたものが吹っ切れ、
本腰入れて大工の道を歩み始めます。
さらに二年後、住宅の仕事がしたいと思い、
野丁場の造作大工の父の元を離れ地元で有名な工務店の門を叩き、就職。
当時で職人を30人ほど抱えている会社です。
友人も二人いたのでなかなか負けられない世界
社長に面接で話した「あの二人はライバルだと思っています」
でも当の本人たちは「弟子が入った」
そう思っていたみたい。
悔しい!ますます負けられない!!
大壁の仕事は出来て当たり前。
今では少なくなった真壁の部屋ができてこそ大工。
時間をかければできて当たり前。
早くてきれいな仕事ができてこそ大工!
普段の造作では班が違ったので友人とは一緒にはなりませんが、
建て方で同じ現場になればそれぞれいいところを見せようと躍起になります。
切磋琢磨されいい環境だったかもしれません。
休みも少なく 朝早いし夜も遅い。
けど仕事は嫌いじゃなかった。
褒められればうれしかったし、ダメだしされれば悔しかった。